room of alchemy - 錬金術の部屋 -

selaのプロフ☆和田灑羅(sela/俗名:和田百合)☆株式会社SVT代表取締役。2011年より、「魔法の時間」というスピリチュアル・ワークショップを主宰中。

selaの知る不思議な世界のお話や魔術・錬金術・瞑想といった技術のお話を気の向くままに綴ってみました。誰かが何かに気付く場になってくれれば嬉しいです☆ ※アダカテにしているのは歴史・神話・宗教などの記事でそういうことに触れる必要があった場合や性魔術などの記事を書きやすくする(言葉の規制を受けにくくする)為の選択です。記事の内容はアダルトではありません。本来のカテゴリは魔術・錬金術・思想・哲学・歴史などを含むスピリチュアル系になります。※

二つの息の間にあるもの・その2

呼吸法も8回目になりました。そろそろ飽きてきた感もあるかもしれませんねぇ~。selaぴょんも飽きてきてるもん^^;
タントラは『最大限の献身とともに、息のふたつのつぎ目に中心を合わせ、そして知る者を知る。』です。以前のお話で呼吸の転回点に触れました。吸って、吐いて、また吸って…その繰り返しの中で呼気から吸気に、吸気から呼気にと切り替わる点が呼吸には存在すること、そしてその転回点に意識を向けなさいというお話を。今回のお話と何が違うんですか?って思われる方は多いでしょう。違うのは機械的に呼吸を見つめるのか、タントラにあるように『献身的に』それを行うのかの違いです。わずかな差に思えるかもしれませんが実際には雲泥の差なのです。

人によって、ただただ機械的に呼吸を見つめるのことに得手不得手があります。苦手じゃない人は機械的に呼吸の転回点を見つめ続ければいいので今回のお話はおまけになるかなぁ~。ですが、機械的な技法が苦手な人には前出の技法は苦痛でしかないらしいのです。そういう機械的技法が苦手な人のために同じ技法にわずかな違いが付け足された訳です。それだけこの呼吸のつなぎ目を見つめる瞑想は重要だってことなのですよ。
まぁ、現実問題として苦手かどうかよくわからない方も多いでしょう。どっちも苦痛だって言う方も居るでしょうしw苦痛かどうかよくわからないなら両方やってみればってことになりますかねぇ~。で、両方やってみるとととんでもなく大きな違いに気付くでしょう^^お話を戻して…2つの瞑想法の些細な「違い」が『献身的』ってことな訳です。で、当然ながら『献身的』って何なのよ??ってなる訳です。

信仰心の強い方、自己犠牲の傾向が強い方は神様のため、誰かのため…って、献身する対象が明確であるならばいくらでも自分を投げ打って尽くすことができるでしょう。その献身の対象が自分ならどうでしょうか?できる?できない?受け止め方はそれぞれでしょう。この瞑想では自分に対して献身的になれって言ってるんですよね。あ~めんどくちゃw
かつて聖者と呼ばれる人たちの多くは「自己愛」の権化だったそうです。自分の身体を文字通り愛してるんですよ。まるで自分の肉体が恋人の肉体のごとく慈しみ愛した訳なんですが…この記事読んでる方たちはどうなんでしょうねぇ~?聖者のごとく自分の身体を愛してますか?機械のように思ってます?それとも…。人の数だけ自分に対する思いも違うでしょうが、ここで注意しなくちゃいけないのは「自分が可愛い」のとは違うってことです。

敢えて、聖者を引き合いに出したのは、『聖者の自己愛』とそうじゃない人の自己愛の差って何かということな訳ですよ。聖者と言われる方々は『己の神聖性』を疑うことが無い故に己の肉体をも慈しみ愛せた訳です。言い換えるなら自らに対して献身的になれているのは、自らの神聖性に対する献身ってことになる訳です。なかなかそこまで達観はできません。
今回の技法に当てはめるなら、自分がしている呼吸は自分だけではなく自分の中の神さんも一緒に呼吸してると意識することになります。お神さんと共にしている呼吸であるならば己のすべてをお神さんに捧げるつもりで呼吸する。その中で呼吸の転回点を見つめ、それを「知るもの」が誰なのかを見つけ出す。ってことになる訳です。

簡単じゃありません。でもやってみる価値はあります。興味があればお試しを☆

PAST LIVES

久々に禅に戻ってきました^^
『PAST LIVES』 直訳すると過去世ってことになりますがそれだけじゃありません。『禅』のお話ですので当然ながら輪廻転生ありきでのお話になります。

輪廻転生…生まれ変わりってあると思いますか?多くの方は半信半疑だったり、否定なさることでしょう。それでも、最近は書籍やTV番組などで「過去世」を記憶してる人達のお話がたくさん紹介されるようになりました。こういうお話してるselaぴょんも一部ですけれど過去世の記憶を持っています。とはいえ、今回のお話は記憶があるから、あるいはその記憶がないからどうだということではありません。ただ、宗教観によって「輪廻転生はない」という概念をお持ちの方には少々難しい、あるいは受け入れにくいお話になるだけだと思いますw古い記事でも過去世について少し触れてますので、内容が重複するところもありますけれどその辺は優しい目で見て下さいです^^

もし、自分の過去世を知っていたらどうなりますか?嬉しい?面倒くさい?どうでもいいこと?…人の数だけその捉え方もまちまちでしょうけれど、過去世を知りたいと熱望する方の多くって「自分は歴史上の人物の転生」って思いたがるんですよねぇ~。なんでだろ???そこにはいろんな理由がありますが、突き詰めると「自己顕示欲を満たす」ためだったり、「自分の付加価値を上げるため」だったりすることが多いんですよね。なぜそうなるか。今の自分が嫌いだったり、価値が無いと思ってたり、「ただの人」「どこにでもいるような庶民」で括られてる現状が嫌だったり…今風に言うなら「厨二病」ですわなぁ~w表向きはただの人だけど、実は魔王なのよとか言ってる心理と一緒なのですよ。だからこそ、簡単には検証できない「私の過去世は○○(歴史上の有名人)なのよ~」と言ってる方はみなの驚嘆や関心を得て悦に入ってるケースが多かったりするのです。反対に、前世鑑定なるもので「ただの人」みたいな事を言われて凹んでしまう方もいるようですけどねw

さてさて…禅が言うところの過去世は「過去世がなんだったか」という表面的なことなんてどうでもいいこととされちゃってます。大事なのは本質の部分。過去の人生で何を学び、どんな業を引き継いで現世に生まれ落ちたかを思い出すことこそが重要であると語っています。とはいえ、今という人生を送るだけでも紆余曲折あって大変なのに、いくつあるかもわからない過去世を記憶の中だけでも追体験するのは面倒この上ないんですけどね~w
ま、禅の瞑想を通じて、多くの過去世を知ることができるようになるようですがそのための苦労もついて回ることを理解すべきでしょう。

そして、ここで言う過去世には輪廻転生以外にもう一つ意味があります。人は誰しもDNAの中に多くのご先祖さまの生き様が刻まれています。近いところでは父母や祖父母。それより前のご先祖さまなんてお顔を見たことすらないので存在感薄いですけれど、そういう何世代にも渡る先人の皆様があってこその自分です。遺伝という形で多かれ少なかれ先人の記憶は受け継がれているんですが、みなさんお分かりの通り「そんなの知ったことじゃない」状態ですからね。唯一「知ってる」と言えるのは親からの体質遺伝くらいなものでしょうか?wwそれすらも全体から見ればほんの一部にしか過ぎないんですけれど。

これら二つの「過去世」を知るか知らないかということは、きちんと目覚めた状態(禅で言うところの悟りを開いた状態)で居るためには避けて通れないものではありますけれど、向き合うのもまた大変。向き合うか向き合わないかは自分が何処を目指したいか次第。敢えて苦労する必要もないでしょうけれど、何かが変わるきっかけにはなることでしょう^^

かくいうselaぴょんは…過去世のせいで余計めんどくちゃ~><になってるとだけ言っておくのであったった☆オイ



国常立尊

他のお神さんのお話をする前に、このお神さんのお話を少し(?)しておかないといろいろと面倒だと思い至り、とっととお話を済ませてしまうに限ると思った訳で。さてさてどこからどうお話するべきか…と悩みつつ、つらつらと書くことにします^^;

このおじいちゃま(名前書くのが面倒なので、ここではおじいちゃん呼ばわりします!不敬だのなんだのと言うのは抜きでお願いしますw)、天御中主神とは違い純地球産のお神さんです。宇宙生成を担った訳ではなく、地球が存在したときに一緒に存在を始めたお神さん。つまりは国(地球)と常にあった(立った)お神さんで「国常立尊」。ある意味、地球そのものってお話にすらなる訳です。で、地球外生命体的な「天津神」と区別するために地球生まれのお神さん達は「国津神」と呼ばれその名称に「天」と「地」という区分けを施すことで、宇宙創成に関わるような宇宙産のお神さんなのか、純地球産のお神さんなのかをわかりやすくした訳です。

まぁ、神話なんかをいろいろと読み比べると宇宙の意志というか外来種的な存在と地球生まれの存在とを明記してるのって、ヴェーダと記紀、聖書くらいじゃないかって感じです。聖書は地球生まれのお神さんを全否定する記述があるのでちょっと違う気もしなくはないですが…。他は地球外発祥だろうが、地球発祥だろうが、発祥地に意味はないって感じの記述になっちゃってますしねぇ~。
…と、本題に戻して。

地球そのものであるところのこのおじいちゃま。地球に性別がない以上、おじいちゃまって男性形で呼んではいますが、お神さんとしても実際は性別がないのです。地球という存在と意志を代弁するのに男性として存在するのが都合がよい部分は男性形で、地球=大地としての生命の源(母)という意味合いで女性形を取る場合もあります。その時々の都合で雌雄(陰陽)どちらにでもなれるってことです。なので、おじいちゃまは男女どちらの面も持った独り神として記述されることになります。思い返して下さい。地球のことを「父なる地球」だの「母なる地球」だのその時々で都合よく使い分けちゃってるでしょ?言い換えればそういうことな訳です。…selaぴょんの中では、どうやってもおじいちゃまって感覚が強いんですけどねぇ~w…

さてさてこのおじいちゃまいろんな名前をお持ちです。有名なところだと日月神示の「艮(うしとら)の金神」だの「竜神」ってところでしょうか。この別称は日月神示で自ら名乗ってるのでご存知の方も多いことでしょう。では何故「艮の金神」&「竜神」なのかってお話です。
「艮の金神」はいろんな言葉を省くだけ省いた、これ以上省けないぞというところまで省略した呼び方です。正しくは「大八州(おおやしま)の鬼門(地に封じられた竜である国常立尊()」ってことでした。「省略しすぎだろうが!」って言いたくなるほどに略してますw
大八州は文字通り日本のこと。その鬼門(艮の方角)は東北地方。その地に封じられたお神さんってお話なんですが、この封じられたの解釈を「封印」とする方が多いせいで祟り神のような扱いをされちゃってます。実際は厳格なところもあるけれど好々爺ってイメージなんですよねぇ~。まずはその辺の誤解を解きましょうか^^
かつて、「封じる」とはその地の役職を任せる意が強かった言葉です。時代劇などで「○○の守(かみ)に封ずる。」と人事の辞令を見たことあるでしょ?この場合もどちらかというと「大事な場所だからこそ、重責を担えるお神さんであるおじいちゃんにお任せします。」ってお話になる訳です。

で、ちょっとだけお話を飛ばします。日本列島が世界のひな型だって説をご存知の方も多いと思います。所説ありますが日本の東北地方に相当する場所としてここでは「アジア(中国・朝鮮・ロシア極東部)」って説を採用します。中国の古典とか、近頃の「中国もの」って括られる小説、ラノベ、コミックの類のモチーフとしても多用されていることですが、中国(中華思想)で世界の中心にあるお神さんを天帝(天皇大帝の略で日本の天皇という呼称もここが発端になっています。)と呼び、金の竜の姿を併せ持つお神さんとされています。察しの言い方でしたらいろいろとお気付きですよね。おじいちゃまが金竜とされる訳が。他にも「金竜」については地球のエネルギーの流れを「竜脈」と呼ぶこととか、竜が大事に抱えている「珠(竜珠・如意宝珠など呼び方はいろいろ)」は地球だという説とか、地球と竜(蛇)の繋がりとか関わりは様々な形で世界中に文献や資料があるので省きますが、なんとなくわかってもらえたかなぁってところでお茶を濁しておきます!
(とにかく「これでもか~」ってくらいにいろんな名前がてんこ盛りで出てくる訳ですから、これ以上名前を挙げたらキリがないですし、見てる方もわからなくなりそうなので「以下略!」です^^;)

余談ですが、古代日本では天皇のことを「すめらみこと」と呼びました。その和名に漢字を当て字したのが↑で触れてる「天皇」。時代と共に呼び方は移り変わっていきましたけれど、江戸時代までは「みかど」という訓読みだったのに、明治維新後何故か音読みの「テンノウ」という音読みの呼称と「天皇」という漢字だけが残ってるという不思議。
そして、元来「天皇大帝」が国常立尊への敬称であったこととを踏まえるなら、記紀で国津神が天津神に国譲りをする件には文字通りではない違った側面がいろいろと見えてくるってお話。
天帝の象徴としての北極星と伊勢の関わりや、その延長上にある豊受大神と大月姫は国常立尊の孫(この表現が一番近い)ってお話だとか、この二柱のお神さんと三貴神との複雑な関わり(伊勢の内宮と外宮の関係や祭祀を含む)。
などなど、今回のお話から理解しやすくなるお話がたくさんあるのですが、その辺のお話はまた改めて、それぞれじっくりとすることにします^^