selaぴょんのワーク「魔法の時間」
どんなワークなのか解説すべきかなぁ~と思った訳で。
一般に「魔法」でイメージするのはファンタジーの世界でしょうねぇ。
杖を一振りで何かが起こるって感じのイメージ。
でもねぇ~selaぴょんの言う「魔法」はそういう類のものじゃないんですよ。
だってね。実は誰もが「魔法使い」だから。
でも、その「魔法」の使い方を忘れてしまっているだけなんですよ。
以前にもちょっとだけ書きました。日常は魔法だって。
「魔法の時間」はそれを体感してもらったり
様々な既成概念でガチガチになった思考を
ちょっとだけほどいてもらおうってワークだったりするんです(にゃぱ)
「魔法」の使い方を忘れてしまった人たちの目には
「魔法」の使い方を知っている(思い出した)人たちにとっての日常が
ありえないような「ミラクル」に見えちゃうことがいろいろとあるようです。
selaぴょんの人生はそういう類の不思議がいっぱいらしいんですよ。
っていうかぁ~波乱万丈?(モアちゃん風にw)
でも、それは私としては多少の紆余曲折がありながらも
自分が選んで行った結果だったり、ごくごくあたりまえの「日常」だったり。
「魔法」の使い方を思い出した人たちにとっては日常に起きる様々なことは
単に「日常」で当たり前の出来事でしかありません。
でも「魔法」が使えないままの人にとってそれは
不思議な「魔法(奇跡)」に見えちゃうってことなのです。
だから、「魔法」の使い方を忘れてしまった人たちに少しでも
その使い方を思い出してもらうための時間ってことで
「魔法の時間」なのでした。
あ・・・「魔法」の使い方を思い出したからって
自分の日常が変わるってわけじゃありませんよ。
だって、自分にとっての日常は当たり前の出来事だから
不思議でもなんでもないものね。
でも、それを見る(観察する)人にはものすごいミラクルが
起きてるように映るってだけのことなんですから(^-^)
・・・
少しくど過ぎました~(汗
でもってこの先は相対性理論のお話になっちゃうので
難しいお話は省略ってことで(笑
・・・
ついでの余談(あは)・・・selaぴょんは名刺の肩書きを「MAGUS」としていたり(笑
直訳すれば「魔導師」だけどクロウリーの定義する「MAGUS」の意味が
ここでは一番しっくりするかなぁ~ということで。以下は彼の言葉の抜粋です。
人は、自分が誰で、何であり、なぜ存在するかを独力で発見し
疑い無きまでに検証すべきである。真の魔導師とはこれらを行い
その途上にある者の手本となる人のことを言う。
今はまだまだとっても未熟なselaぴょんですが、いずれ自分がMAGUSとして
お手本になれるようになるんだもん!って意味に見てやってください(エヘ