またまたギーターです^^;
一気にお話進めないとやる気が失せそうなあたりなのでw
本篇では2章26~38節のあたりってことで^^
前回、不変不滅の魂にとって肉体は着替え可能な衣服のようなものというお話をさせて頂きました。
今回はその延長のお話なんですが…
クリシュナ君のするお話が現代人の我々にはとてつもなく過激な内容と
なってる部分でもあるので一気に終わらせたいのですよw
先に言っておきます!
selaぴょんの気性はある意味「戦士」ですが戦争容認派ではありません^^
ってことで本題に戻すことにします!
生まれたものは必ず死ぬ。それは誰もが理解できることだと思います。
ではその逆は真なのか?否か?
クリシュナ君は死んだものは必ず生まれる。と言っています。
いろいろな形でこの手のお話は巷に溢れ返っているのですが
それを見聞きしてもそのことを理解できる人は少ないのです。
だからこそ、煮ようが焼こうが切り刻もうが魂が壊れないということを信じられない訳です。
このことが五感で感じられることならばまた違ったのかもしれませんが
あいにく魂なるものは五感では感知できません。
理屈としてそういうものがあるんだろうな~って程度の方がほとんどでしょう。
だからこそ、ギーターは難しいお話になってしまう。
というか~、必要があって手にするか、たまたまそう仕向けられるかでもしないと
読むことってないでしょうからねぇ~ww
ギーターを学べるところまで精神的に成長した人しか関心も持たないだろうしw
…脱線しすぎですね^^;
クリシュナ君の説法に戻ることにいたしましょうw
生死という人知ではどうにもできないことに嘆き慌てふためくのではなく
今、自分の置かれている状況に対して義務を果たすことが重要だといいます。
クリシュナ君は少しだけ具体例を出してくれてます。
現代人の我々は、皇室に属さない限り「身分制度」の影響を受けないので
古の時代の身分制度による義務なんて理解できないでしょうが
書かれた時代を踏まえて理解してくれればと^^;
生まれによって決まる貴賤、その身分によって就ける職業や結婚できる相手が決まる。
そして様々な制限と義務が当たり前だった時代。
ギーターが書かれたのはそんな時代でした。
そして悩み多きアルジェナ君は特権階級である王侯武士階級の生まれです。
武士階級の責務は文字通り「戦う」こと。
それがその階級の義務であり、正義であった訳です。
戦が起こればそれに参加するのは当然の義務であり
当時の身分制度、宗教観から言ってもそれは「善」だったのです。
なのでクリシュナ君はアルジェナ君に言うのです。
武人として参戦できるのは幸せなことである。…と。
逆に参戦しないのは「義務不履行の罪」を犯し、武人としての名誉も失うと。
更には味方には臆病者と軽蔑され、敵は蔑みの言葉を投げるだろうと。
歴史に刻まれる汚名と恥辱の数々にアルジェナ君は耐えられないだろうって
クリシュナ君はある意味煽ってるんですよねw
名声、名誉といったものに重きを置く方ならこの辺のことは
理解できるのではないでしょうか。たぶんきっと^^;
ここまでは理解できる方も多いと思われます。
実際、理解できる言葉が並んでますからね^^
ですが、クリシュナ君がこの後続ける言葉に共感できる現代人は少ないでしょうね。
だってねぇ…アルジェナ君が戦死するなら天国へ行き
勝って生き残れば地上での栄華を謳歌できるって焚き付けてますし
二律背反の命題で悩み苦しんでないで義務としてなせ。
そうすれば罪にはならないとまで言ってのけたクリシュナ君の真意を
理解するのは難しいでしょうから^^;
理解しやすいように言葉を変えましょう。
現代人は「生まれ」による身分制度からは解放されましたが
「実力主義」という名の新たな身分制度に囚われてしまいました。
職業選択の自由、結婚の自由を手にしたと思い込んでいますけれど
実際そんなものはないんですよ。
職業も結婚相手も確かに自分で「選択」できていると反論する方も多いでしょう。
でも実際には「実力主義」による新たな身分制度にがんじがらめにされているのです。
ある職業に就きたければ○○という資格が必要、そのためには偏差値がどのくらいで…とか
結婚相手に対する条件としても高学歴、高収入、容姿端麗、親が資産家だとか
好条件に恵まれている人は好きなように選択できるかもしれませんが
そうじゃない方にとってはその選択肢すらない場合が多い。
経験上、あるいは報道番組での統計などからその辺のことは認めたくなくても
情報としては知っている事実でしょう。
そう、「格差」という名の新たな身分制度が確立しちゃってるんですから。
そんな中で、今置かれて状況に不満を持ってる方も多いと思います。
実力のある方なら「そんなの自分の実力の無さを恨め」で終わるんでしょうが
当事者にしてみれば生活もあるし、そう簡単に納得もできないでしょうし
「あの時もっと頑張ってたら」と後悔したところで遅いのです。
…人は常に後悔しながら生きる生き物なので無駄だと知ってても後悔したがるんですよねぇ~…
ならばどうすればいいのか。
現状を嘆くより、今置かれた状況での「最善」を尽くせ!
ってことになる訳です。
ギーターの書かれた時代は現代以上にがんじがらめな時代でした。
そして現代ほど人の命は価値あるものではなかったのです。
だから、当時の身分制度の中で理解ができるであろう表現をクリシュナ君はしたにすぎません。
「善」も時代によって様々に変化します。
江戸時代くらいまでは日本でも人の命は存外軽いものでした。
暗殺を含め、「大義」さえあれば簡単に人の命を奪えた時代です。
現代人には受け入れがたい価値観ですけどね。
時代、経験、立ち位置によってその人にとっての「善」は簡単に変わってしまう。
ならばそのことが「善」か「悪」かで悩んでいる間があるのなら
その時点での「最善」を尽くすことに尽力しなさいとクリシュナ君は言いたかっただけなのです。
付記するなら、いわゆる天国に行くのか現世での栄華を謳歌するのかというお話は
アルジェナ君の立場に対してのお話であって立場が違えばまた違ったお話になるってことです。
現代人にとって天国だの言ってもピンとこないでしょうし^^;
まぁ、来世は良い身分に生まれるよって程度のお話になるだけかもしれませんし
頑張ったところで何も得られずに終わってしまうかもしれないのですから。
それでも不変不滅な魂にとってそれは写真の一コマのようなもので
意味があるかないかはそれを行う当人が決めればいいのです。
意味があると信じるなら最善を尽くせばいいだけのこと
ないと思うのであれば後悔だけの人生を送り続ければいいだけのことです。
後は、それを自分が納得し良しとできるかどうかってことで…
悩みはまたまたスタートに戻る訳ですねw
どこかで負のスパイラルを断ち切らない限り、永遠にこの悩みからは解放されない。
ってことで、来世の問題として先送りするか、今世の問題として真摯に向き合うか。
究極はその選択になるのかなぁ~?
少しは理解してもらえたでしょうか。
まだまだ説明不足な感は残るもののこの辺でお茶を濁して
次回に持ち越すことにするのであったった^^;