久々に禅に戻ってきました^^
『PAST LIVES』 直訳すると過去世ってことになりますがそれだけじゃありません。『禅』のお話ですので当然ながら輪廻転生ありきでのお話になります。

輪廻転生…生まれ変わりってあると思いますか?多くの方は半信半疑だったり、否定なさることでしょう。それでも、最近は書籍やTV番組などで「過去世」を記憶してる人達のお話がたくさん紹介されるようになりました。こういうお話してるselaぴょんも一部ですけれど過去世の記憶を持っています。とはいえ、今回のお話は記憶があるから、あるいはその記憶がないからどうだということではありません。ただ、宗教観によって「輪廻転生はない」という概念をお持ちの方には少々難しい、あるいは受け入れにくいお話になるだけだと思いますw古い記事でも過去世について少し触れてますので、内容が重複するところもありますけれどその辺は優しい目で見て下さいです^^

もし、自分の過去世を知っていたらどうなりますか?嬉しい?面倒くさい?どうでもいいこと?…人の数だけその捉え方もまちまちでしょうけれど、過去世を知りたいと熱望する方の多くって「自分は歴史上の人物の転生」って思いたがるんですよねぇ~。なんでだろ???そこにはいろんな理由がありますが、突き詰めると「自己顕示欲を満たす」ためだったり、「自分の付加価値を上げるため」だったりすることが多いんですよね。なぜそうなるか。今の自分が嫌いだったり、価値が無いと思ってたり、「ただの人」「どこにでもいるような庶民」で括られてる現状が嫌だったり…今風に言うなら「厨二病」ですわなぁ~w表向きはただの人だけど、実は魔王なのよとか言ってる心理と一緒なのですよ。だからこそ、簡単には検証できない「私の過去世は○○(歴史上の有名人)なのよ~」と言ってる方はみなの驚嘆や関心を得て悦に入ってるケースが多かったりするのです。反対に、前世鑑定なるもので「ただの人」みたいな事を言われて凹んでしまう方もいるようですけどねw

さてさて…禅が言うところの過去世は「過去世がなんだったか」という表面的なことなんてどうでもいいこととされちゃってます。大事なのは本質の部分。過去の人生で何を学び、どんな業を引き継いで現世に生まれ落ちたかを思い出すことこそが重要であると語っています。とはいえ、今という人生を送るだけでも紆余曲折あって大変なのに、いくつあるかもわからない過去世を記憶の中だけでも追体験するのは面倒この上ないんですけどね~w
ま、禅の瞑想を通じて、多くの過去世を知ることができるようになるようですがそのための苦労もついて回ることを理解すべきでしょう。

そして、ここで言う過去世には輪廻転生以外にもう一つ意味があります。人は誰しもDNAの中に多くのご先祖さまの生き様が刻まれています。近いところでは父母や祖父母。それより前のご先祖さまなんてお顔を見たことすらないので存在感薄いですけれど、そういう何世代にも渡る先人の皆様があってこその自分です。遺伝という形で多かれ少なかれ先人の記憶は受け継がれているんですが、みなさんお分かりの通り「そんなの知ったことじゃない」状態ですからね。唯一「知ってる」と言えるのは親からの体質遺伝くらいなものでしょうか?wwそれすらも全体から見ればほんの一部にしか過ぎないんですけれど。

これら二つの「過去世」を知るか知らないかということは、きちんと目覚めた状態(禅で言うところの悟りを開いた状態)で居るためには避けて通れないものではありますけれど、向き合うのもまた大変。向き合うか向き合わないかは自分が何処を目指したいか次第。敢えて苦労する必要もないでしょうけれど、何かが変わるきっかけにはなることでしょう^^

かくいうselaぴょんは…過去世のせいで余計めんどくちゃ~><になってるとだけ言っておくのであったった☆オイ