久々のギーターです。2章39節~47節のあたり。要約すると『結果を期待せずに働くことでカルマ(業)から解放される。』ってことを様々な喩えを使ってクリシュナ君が解説してるって内容です。いやぁ~簡単に終わった終わった^^…って駄目だよね?…クリシュナ君に代わって解説しますよ。(T^T)ウルウル

一般的に、知識とか知恵と呼ばれるものと知性と呼ばれるものは同じように思われがちですけれど、ヴェーダでは別物となります。知識や知恵はその時を生きるための理論であって本質ではなく、本質に由来するものは「知性」と呼び分けられているという事なのです。で、今までのクリシュナ君のお話は理論であって知性ではないと本人ものたまってくれております。その上で、知性の側から今回のアルジェナ君の問いに答えるならば『結果を期待せずに働けよ』って一言に集約される訳で、今回のお話の範囲はその一例をいくつか挙げてくれてるって部分になります。

さてさて…原文だと専門用語多すぎなんで引っかかりそうな用語の解説しておきます。
サンスクリット語では知性をブッディと呼びます。どこかで聞いたような響きじゃありませんか?『仏陀(ブッダ)』…似てますねw。漢字はサンスクリット語を漢語に訳す際の当て字ですから字面に惑わされちゃいけません。本質であるところの知性=ブッディに至った人のことをブッダと呼ぶってだけのことです。仏教用語としても、仏陀は釈迦尊を指すだけではなく悟りを開いた人を指す語でもありますから。
真理を神と同義と捉えます。正しくは「ブラフマンの真理」。略して真理とだけ言う場合もあります。この世界を作った神であるブラフマンはすべての可能性、知性を内在する存在です。古代からヴェーダを信仰する人々の最終目的はブラフマンと同一になることなので、その『ブラフマンの真理』はブラフマン自身であるとの解釈から真理は神であるとなる訳です。
二元対立。これは解説しなくてもご存知ですよね。善悪や光と影、表裏など相反するものでありながら、一方が存在することでしかもう一方も存在しえないもの。二元論という言い方もあります。自己存在の否定にもつながるのに何故対立するんだろうかと疑問に思うselaぴょんなのですが、天使と悪魔の戦いとか物語のモチーフとしては楽しいですよねww
三性質(トリグナ)。人の内にある3つの行動原理とも言える性質のことを言います。サットワ(善徳・調和・無欲性)・ラジャス(激情・欲望・積極性)・タマス(暗愚・無知・消極性)の3つ。解りやすく喩えるならニュートラル・アクセル・ブレーキとなりますかねぇ~。より詳細にってなると難しい言葉が並んで長くなるのでこの程度にしますけれど、タロットを使われる方ならこの本質もよくご存知でしょう。大アルカナ10番運命の輪を回す要素ですからねぇ~。もしも知らないと言うなら勉強不足ですし、他者をリーディングする資格なしと言い切らせて頂きます!

ということで本文に戻って。断固たる意志を持つ人にとっては目的に向かって頑張るだけなので何の苦もないでしょう。でも、そうでない方…優柔不断な人…にとっては些細な選択肢が気になってしまい目標を見失うのはよくあること。枝葉ばかりを見て幹を見ないという喩えが使われるのと同義。気にするなってのが難しい場合も多いですけどね。表面的な賛辞や贅沢な生活とか、富だの栄華だの快楽だのを追い求めたいのは人としてはもっともだったりしますしねぇ~。そういう事を追い求めて右往左往してる方のその努力は無駄だとクリシュナ君は言い切ってます。更にはそういう方々に真理を求める決断は起きないのだとも断言しちゃってます。その理由として、巨大な貯水池を持つ人が小さな池を重視しないのと同じって説明してますけど。クリシュナ君理論だと、目先の利益や損得などといった小さい富に固執するよりは、真理の中にある巨大な恩恵に与るべきだってことなんですが、その巨大な恩恵ってのがよくわからない、見えないってことで、皆さん右往左往することになっちゃってるってことです。この恩恵ってのが何なのかってお話はこの後クリシュナ君が説明してくれてますので解説もまたその時にってことで^-^

で、戒めの言葉が更に続きます。『定められた義務を行う権利はあるが、行為の結果についてはどうする権利もない。だが怠惰に陥ってもいけない。』…つまりは、結果を期待しないで目の前にある義務を果たすことだけをただひたすらに考え、そして成せってことなんですけど~。やっぱり、やったことの結果は期待しちゃうのが人だと思うんですよねぇ~。ってことで、めちゃ難しいです><

まだまだ未熟なselaぴょんは、やっぱりやったことへの結果(報酬)は期待しちゃいたいなぁ~なのであったった☆