room of alchemy - 錬金術の部屋 -

selaのプロフ☆和田灑羅(sela/俗名:和田百合)☆株式会社SVT代表取締役。2011年より、「魔法の時間」というスピリチュアル・ワークショップを主宰中。

New Age

セクシャリティ

2012-01-23 15:39:45 初出

※セクシャリティに関する用語は標準的な単語を使うようにしてます。

 言葉の意味はここでは触れません。

 Wikiなどで調べられますので参照してください。



近頃セクシャル・マイノリティ(セクマイ)の子たちと

一緒にいる機会が増えてきてたりして。

自分のセクシャリティを自覚している初対面の子に

selaぴょんのセクシャリティを話すと不思議そうにする子と

感動しちゃう子にわかれるような気がするけど・・・まぁいっか(笑


とある哲学書の中にこんな文章がありました。

以下はその意訳。

人は、愛を知るために恋愛をする。

その最初のステップが異性愛。

自分と違うものを愛することを知るために異性に恋をする。

愛することを少し覚えた魂はもっと広い意味の愛を知るために

同性愛者となり人と違う愛の形を学ぼうとする。

もう少し愛することを学んだ魂は異性愛・同性愛の壁を越え

人という「個」を愛することを学ぶ。


この本を読む前にあたしは自分のセクシャリティを自覚してました。

そのせいかどうかは別としてごくごく自然な当たり前のこととして

この文章を受け入れることに何の抵抗もなかったのを覚えています。

だってね。selaぴょんのセクシャリティは今風に言うならバンセクシャルだから。

こういうカテゴライズは好きじゃないんですけどね。


好きになった人のセクシャリティが自分とかみ合わないなら

友達として楽しくかかわっていけばいい。

セクシャリティが合うなら恋愛すればいい。

相手がトランスジェンダー(肉体改造の有無にかかわらず)だとしても

その人とかかわりたいと思えばかかわりを持つし

対個人という意味では一人の人に限定する必要も無いと思っている。

ある意味、世の中の常識から外れてると言われそうだけど

本質的には個人対個人のかかわりの持ち方だと思うから。


そんな訳で

セクシャリティを理由に自分や他人に枠をはめる必要はないし

少なくともあたしは自分から枠にはまったり他人に枠をはめたりはしない。

そうされることも嫌だしね(^-^)

もっと自由に自分を表現するためのツールであって欲しいなと思うのです。



それはそれとして・・・

selaぴょんはセクマイの子たちの相談役(?)みたいなことも

この先していかねばならないのかなぁ~と

墓穴を掘ったような気がするのであったった(^^;

The Master

2011-10-26 18:30:37 初出

一般的には「師」とか「支配者」とか言われる言葉。

スピ系だと今の自分に影響を与えた存在全般を指す言葉。

先日も聞かれたのですよ。

「どなたの影響を受けてこの世界に入ったんですか?」って。

誰かの本を読んで感銘したとか、誰かの講演を聞いて感化されたとか

そういう回答を期待されているのは痛いほど分かったんだけど

実際にはそういう存在って無かったからねぇ(^^;

いつものことながら、自分がいかにイレギュラーなのかって

再認識させられる瞬間だったりするのだけれど・・・。


私の場合は常に体験が先で、知識や情報はその後。

自分の意志とは関係無しにその状況に追い込まれる。

後で気になる本を手にした時その意味と言うか状況と言うか

なぜそれが必要だったのか謎解きのような文章に出会い

笑うしかなくなっているのだけれど・・・。

近頃は、アレイスター・クロウリーやOSHOの本(関連本含む)で

こういうことがよく起きる。

でもって、後から違った状況で追体験させられたりもする。


この数日、帰省の移動や何気にぼ~っとしてる時に

こういうことも文章にまとめなくちゃいけないのかなぁ~なんて

漠然と思うこともあって、どういう風にしようかなぁ~と思いつつ

なんとなく方向性が決まったような・・・。


ということで。

今の私にとっての「The Master」という意味も含め

OSHOの禅に対するキーワードとクロウリーの「トートの書」から

文章を起こしてみるのも悪くないなと。

定期にすると義務になる。それによって自分が機械化するのは嫌だし

書かなくちゃ~ってなると文章も死んでしまう。

だから気のむくままに不定期に。書きたいときに文章にしてみる。

その合間に今までみたいな「あれぇ~」って感じの文章を

挟み込むのもいいかなぁ~なんて企んでいるのであったった☆

本の中の真実

2011-09-18 19:57:33 初出

世の中にはあまたの神話が存在します。

奇想天外な部分は差し引いて見たとして鵜呑みにできますか?

文字としてあるいは言葉として伝える以上

伝える人の思惑が必ず含まれることを認識しているでしょうか?

神話や伝承に限らずNew Age系の書籍の内容を

どこまで真実として受け入れられるでしょうか?


神話や伝承は、それを言葉にした人の思惑が必ず含まれます。

奇想天外なモチーフはその人(神)が特別なのだと強調するため。

編纂した人(グループ)にとって都合の良いことは大げさに

そして都合の悪いことは極力削る方向で編纂されるものだと

頭の片隅にでも置いて読み進めることをお勧めします。


たとえば、有名なところで聖書・創世記における人類創世の物語。

アダムとともに創生された女性の記述とアダムの骨から創生された女性の記述。

そう、人類創世には二人の女性が存在すること気付いてましたか?

前者は男性と対等な立場の女性。

自分の意志で思考し行動し決断しそして責任を負う女性。

後者は男性の従属物として自分の意志ではなく夫や親の

言いなりになることを幸せだと思うそういう女性。

前者の名前を「リリス」後者の名前は「イヴ」。

でも、リリスは聖書に名前が出ていないばかりか

いつの間にか魔女の女王、もしくは悪魔の母とまで

貶められています。理由は簡単。

時の権力者や聖職者にとって女性は道具のように

従順であるべきだと決めつけられたから。

男性のように意志を持ち、有能な女性は邪魔なだけ。

そう。リリスのような女性は時の権力者にとっては悪でしかなかったんです。


結果、編纂者にとって都合の良いほうだけが重点的に採用される訳です。

これは聖書に限ったことではなく日本の記紀にしてもそう。

その原点となったという様々な風土記なども同様。

実際には敵対する立場からの文書は焚書にされていたり

既に紛失されていたりして無い場合が多いから

検証は難しかったり、できないこともままあるけれど

ちょっと逆の勢力が力を持っていたらどういう文書になるか想像して下さい。

それだけでもその裏に隠された真意が見え隠れすることもあるのです。


でもね、こういう事情は古い文献だけのことではないのです。

その時々でNew Ageの世界にも「流行」があるんですよ(笑

立場が違えば反論がまかり通る現在のNew Ageの世界。

反論合戦はいささか食傷気味。

読む人が本に書かれていることをそのまま鵜呑みにするのではなく

双方の都合を読み解いて真理を理解するだけの

知恵と知識が実は要求される時代なのだということを気付いてますか?


な~んて、偉そうに言ってみたりするのであったった☆

さてと・・・次回の魔法の時間用に少し本を読み漁ることにしましょ。

フリー・メイソン?

2010-03-11 13:05:04初出


先日、本屋さんに立ち寄った際、宗教・哲学系のコーナーに

「フリー・メイソン」の関連本が山になっていた。

今頃メイソン・ブームなのか?と思って本屋さんの中を歩き回っているうちに

その答えを見つけた。

なるほど。そういうことなのね。

ダヴィンチ・コードの著者が次のテーマにしたのが「フリー・メイソン」

その新作とともに話題の新刊コーナーに宗教・哲学コーナーよりも

多くのメイソン関連本が山になっているのを目の当たりにしたせいなのだけど。


メイソンに始めて興味を持ったのは中学の頃。

当時、クラスメイトの間で「ムー」というオカルト雑誌が流行ったことがきっかけ。

中学卒業後はオカルトとは縁の無い環境にいたので忘れていたが

何かのきっかけで度々目にはしていた。

カルトな世界に足を踏み入れた後は言うまでも無いことだけど・・・w


メイソンに関しては諸説がまことしやかに語られている。

どれも本当のようで嘘のようで・・・。

だとしても、世の中で語られていることなど

メイソンの会員にとってはある意味どうでも良いことばかりだというのは分かる。

ちまたに溢れる情報の真偽や情報を発信した人の思惑や

その情報を手にした人の受ける思いなどは彼らには関係ないこと。

自分の求める真理の核心に近づくことが最重要事項なのだから。



数年前、とある縁でロス・チャイルドの

日本での代理人だと名乗る男性を紹介された。

紹介者はそのことを信じてはいなかったが、

彼のバック・ボーンを探り当てようと躍起になっていたのは事実。

結局のところ暴けたかどうかは不明。

事実検証はともかく、その頃交流を再開していた波動水のおねぇさまに

半分迷いながらも実は・・・と彼の話をさらっ~としたときに

「やっぱり私が受けたメッセージは本物だったんだわぁ~」

などと言いつつ地に足の着かぬ様子。

おねぇさまに彼を紹介することは最後まで無かったのだが・・・(^^;

精神世界に足を踏み入れながら、何らかの権力志向を持つ人にとって

「メイソン」に関わるということは相当な魅力らしい。

私自身「もし本物だったら」という思考から抜け出すのに苦労した(汗

紆余曲折の末、私の出した結論は

【たとえ本物だったとしても自分にメイソンは必要ない】

だった。そして、その日を境に私は彼との交流を絶った。


今この時期になってのメイソン・ブーム。

それが巻き起こすものが何なのか興味は尽きないものの

傍観者に徹しようという思いだけは変わらないのだったった。

流行りは2012年?

2010-02-04 13:47:39 初出

午前中、出かける用事があった。

たまたま、大きな本屋さんの近くを通ったので帰りに寄り道。

ふと、目に留まったのが2012年関連の本。

いったいどれだけ関連本が出てるんだ?と思うほど。

1999年のノストラダムスの時より多いんじゃないか?(笑


平積みの帯を眺めていると

2012年マヤの終末予言を乗り切った先のユートピア論や

魂の次元上昇に触れるものばかり。

1999年頃のドタバタをまた繰り返すのか?

ふとそんな感覚に囚われた。


1999年は私自身もろに渦中にあった。

精神世界に何らかの造詣がある友人たちは

そろって、次元上昇だの何のと大騒ぎだったから。

彼らと知り合った頃の自分は、そうなのか?ってくらいの感覚だったが

周囲の大騒ぎに半ば飲み込まれ、半ば洗脳でもされたかのように

この世の終末後に次元上昇(理想郷?)の訪れがあると

信じるようになっていたのだけれど・・・(汗

実際、1999年は何も起こらずに終わった。

その当時の友人たちは

「今の人類が次元上昇するためにはその魂が幼すぎるため」

何も起こらなかったのだと説明してくれた。

「今の人類の魂が次元上昇できるだけ成長するには後10年かかる」

との補足付き。

彼らの言ってた10年後とは2012年のことなのだろうか。


2012年

何も起きないかもしれないし、何かが起きるかもしれない。

人が成長するためのきっかけは何でもいいとは思っているが

単なる「終末思想をベースにした理想郷に生きるため」ってのは

何かが違うように感じる。

何も起きなかったときに、終末思想をきっかけにした人たちの成長は

単なる上辺の取り繕いに過ぎなかったということに気付くケースが多いから。

そして、この気付きは1999年から2000年にかけての渦中を抜け出し

自分自身に余裕が持てたときに気付くよう仕向けられたことの1つだった。


あれから10年。

お神さんたちとの駆け引きの日々がまた始まる予感がする。

まぁ、10年という時間が私を変えている分

お神さんたちに踊らされない様にだけ気をつける事にして

少しは駆け引きを楽しめればいいかなぁ~なんて思うのだったった(ニカッ