room of alchemy - 錬金術の部屋 -

selaのプロフ☆和田灑羅(sela/俗名:和田百合)☆株式会社SVT代表取締役。2011年より、「魔法の時間」というスピリチュアル・ワークショップを主宰中。

禅の言葉から

NEW VISION

文字通り「新しいビジョン」ってことなのですが、禅の言うところの『ビジョン』とは何?ってお話です。

多くの人は『ビジョン』という言葉から、未来の自分はこうなっていたいというような予想(願望)を連想することでしょう。ですがほとんどの方は明確な将来図を描けないのではないでしょうか。理由は簡単です。【人は自分が経験したこと、見たことのデータベースを元に未来を描く】生き物だからです。ある程度年齢を重ねた方は、いくら大富豪になりたいと思っても、そういう経験がない以上そうなってる自分という未来予想図はなかなか描けないものなのです。子供の場合は逆に経験が少ない分だけ何にでもなれる自分=可能性の幅が広い未来予想図を思い描くことができます。さてお気付きでしょうか。自分の可能性を狭めているのは自分だということを。

人は大人になるほど理屈(思考)が何かと行動を制限するようになります。何かの職業に就きたいと願っても、その資格を得るためにどれだけの勉強をしなければならないとか、どれだけの費用がかかるとか、いろいろと理由を付けてはその願いを断念させようとする『思考』という存在がすべての人にあるからなのですが。最近の塾のCMで見かける「サボロー君」もそういった思考の一つを擬人化した例ですよね。擬人化できる思考というのは「サボロー君」だけじゃないってことです。人の中にはそういう擬人化したら面白そうな思考が山ほどある訳で、それらが脳内で時には協力し、時には対立し、夢と理想に溢れた未来予想図をどんどんつまらない未来予想図に変えていってしまってるのです。なら、どうしたらいいのか?既成概念でがんじがらめになったその脳内をどうにかしてあげればバラ色の未来予想図を描くことも不可能じゃないのですけど、どうにかするのがまた大変なんですけどねww

人は多くの物事を2つの感覚で仕分けします。善悪、上下、光と闇…といった相反する二つの事象に。それは人の精神性が成長する過程で避けては通れない部分なのですがそこから逃れられないためにいろいろと歪みも起きる訳で。自分の新しい可能性を見つけたいならば、まずはこの仕訳作業をやめることから始めなくてはいけません。『清濁併せ飲む』という言葉があります。良きことも悪しきことも自分にとって必要なこと、どちらも受け入れるべき現実であるとして受け入れることを意味する言葉です。相反するものを同時に、同等に必要と認識し受け入れられたときこれまでとは違った「モノ」を人は見ることができると禅の言葉は説きます。その時に見えるビジョンこそ禅が説く「新しいビジョン」であり、今まで自分が考え出すことすらできなかったような未来予想図になると説かれています。

禅の説く「新しいビジョン」。実はその先にある「モノ」にも触れています。所謂『悟り』の境地とも言うべきものですけれど。喩えるなら、宇宙のすべてを見渡せる視野を手に入れるようなものだそうです。

さてさて…いろんな自己制限をかけ過ぎて身動き取れなくなってることにすら気づいてない人達が多い今の世の中にあって、今の自分の状況を面倒にしちゃってる張本人が自分だと気づいてくれるだけでも世の中かなり変わるとぞと思うselaぴょんなのであったった☆

PAST LIVES

久々に禅に戻ってきました^^
『PAST LIVES』 直訳すると過去世ってことになりますがそれだけじゃありません。『禅』のお話ですので当然ながら輪廻転生ありきでのお話になります。

輪廻転生…生まれ変わりってあると思いますか?多くの方は半信半疑だったり、否定なさることでしょう。それでも、最近は書籍やTV番組などで「過去世」を記憶してる人達のお話がたくさん紹介されるようになりました。こういうお話してるselaぴょんも一部ですけれど過去世の記憶を持っています。とはいえ、今回のお話は記憶があるから、あるいはその記憶がないからどうだということではありません。ただ、宗教観によって「輪廻転生はない」という概念をお持ちの方には少々難しい、あるいは受け入れにくいお話になるだけだと思いますw古い記事でも過去世について少し触れてますので、内容が重複するところもありますけれどその辺は優しい目で見て下さいです^^

もし、自分の過去世を知っていたらどうなりますか?嬉しい?面倒くさい?どうでもいいこと?…人の数だけその捉え方もまちまちでしょうけれど、過去世を知りたいと熱望する方の多くって「自分は歴史上の人物の転生」って思いたがるんですよねぇ~。なんでだろ???そこにはいろんな理由がありますが、突き詰めると「自己顕示欲を満たす」ためだったり、「自分の付加価値を上げるため」だったりすることが多いんですよね。なぜそうなるか。今の自分が嫌いだったり、価値が無いと思ってたり、「ただの人」「どこにでもいるような庶民」で括られてる現状が嫌だったり…今風に言うなら「厨二病」ですわなぁ~w表向きはただの人だけど、実は魔王なのよとか言ってる心理と一緒なのですよ。だからこそ、簡単には検証できない「私の過去世は○○(歴史上の有名人)なのよ~」と言ってる方はみなの驚嘆や関心を得て悦に入ってるケースが多かったりするのです。反対に、前世鑑定なるもので「ただの人」みたいな事を言われて凹んでしまう方もいるようですけどねw

さてさて…禅が言うところの過去世は「過去世がなんだったか」という表面的なことなんてどうでもいいこととされちゃってます。大事なのは本質の部分。過去の人生で何を学び、どんな業を引き継いで現世に生まれ落ちたかを思い出すことこそが重要であると語っています。とはいえ、今という人生を送るだけでも紆余曲折あって大変なのに、いくつあるかもわからない過去世を記憶の中だけでも追体験するのは面倒この上ないんですけどね~w
ま、禅の瞑想を通じて、多くの過去世を知ることができるようになるようですがそのための苦労もついて回ることを理解すべきでしょう。

そして、ここで言う過去世には輪廻転生以外にもう一つ意味があります。人は誰しもDNAの中に多くのご先祖さまの生き様が刻まれています。近いところでは父母や祖父母。それより前のご先祖さまなんてお顔を見たことすらないので存在感薄いですけれど、そういう何世代にも渡る先人の皆様があってこその自分です。遺伝という形で多かれ少なかれ先人の記憶は受け継がれているんですが、みなさんお分かりの通り「そんなの知ったことじゃない」状態ですからね。唯一「知ってる」と言えるのは親からの体質遺伝くらいなものでしょうか?wwそれすらも全体から見ればほんの一部にしか過ぎないんですけれど。

これら二つの「過去世」を知るか知らないかということは、きちんと目覚めた状態(禅で言うところの悟りを開いた状態)で居るためには避けて通れないものではありますけれど、向き合うのもまた大変。向き合うか向き合わないかは自分が何処を目指したいか次第。敢えて苦労する必要もないでしょうけれど、何かが変わるきっかけにはなることでしょう^^

かくいうselaぴょんは…過去世のせいで余計めんどくちゃ~><になってるとだけ言っておくのであったった☆オイ



FIGHTING

2015-01-26 15:40:00 初出

暮れからの風邪がやっと8割ほど治ったselaぴょんです><

肉体はウィルスと戦っていたようですが

気持ちと体力は熱出した時点で風邪との戦闘を放棄しました^^;

なのに今回のテーマはFIGHTING…戦いってのも皮肉です><


人は生きてる間、常に戦い続けます。

「自分が生きていくため」だったり

「自分が生きていたこと」を残すためであったり

理由は千差万別。

そして、戦いそのものも千差万別。

国同士の戦い(戦争)から、ご近所トラブルとか

成績の順位とか、些細なことまで入れたらきりがないw

商談とか恋愛ですら「戦い」になっちゃってるもんねぇ~

「相手を落とす」すなわち自分が勝つってことだもんねぇ~ww


さて…禅は疑問を投げかけます。

ここで戦って勝ち取ったものがあったとして

それがずっと価値あるものなのか?

もしくは

生きてるうちは価値があるかもしれないけれど

死んじゃったら価値があるものなのか?って話です。

自分が死んじゃったら、残った人たちが

更に不毛な戦いを続けていくだけってのは

人類がこれまでに生きてきた歴史が証明してること。

自分に関係ないところで続く戦いに自分は何を残すんだい?

ってことなんだけどねぇ~


国や民族間の争いなら、身内が安全に安心な暮らしを

続けられる権利を得られるからそれでいいと言う人もいるでしょう。

でも、世の中は…歴史は生き物のごとくその動きを変える。

今回は勝者かもしれない。でも明日は?その先は?

常に勝ち続けられる訳ではない。

いずれ、自分の戦いの結果が無意味になることだってあり得る。


個人的な争いだってそう。

例えば恋敵を制して意中の人と結婚したのに

数年後離婚しましたってよく聞くお話w

受験戦争を制して一流大学を出たところで

現実に押しつぶされてひきこもるような人だって居る。

どんなに頑張ったところで余程の偉業を成さなければ

自分の死後には意味をなさない。

せいぜい「うちのご先祖にすごい人がいたんだよ」って

言ってもらえれば上出来なんじゃないかなぁ~w


まぁ~そういう日常の戦いさえも無意味だと

人は己の愚かさを知って、理解したとして

それでも戦うことをやめようとはしないんでしょうね。

一種の強迫観念。

戦うのをやめたら、あるいは負けたら自分の人生は終わってしまう。

場合によっては生きる目的さえ失っちゃう人もいるんでしょうね~。


戦いの歴史という体験を通して

人類の遺伝子に刻まれた行動原理とも言える衝動を

自分の意志で絶つのは難しいことかもしれない。

ガンジーのような非暴力主義になれという事ではないけれど

せめて自分が戦う相手が何なのか、なぜ戦わなければならないのか

それを理解した上で戦い勝ち取る努力をして欲しい。

ただ、勝ち取ったものは未来永劫自分のものではないことも

理解した上でそれを勝ち取る意味があるかないかを

判断する智慧も持って欲しいなぁ~と思うのであったった☆


まぁ~怠け者のselaぴょんとしては

棚ボタを待ち続ける昼行燈な環境さえあれば満足だから

これ以上何かを争ってなんて気はないのであったった~☆

…昼行燈な暮らしを続けるための戦いは続けるかもしれないけど^^; オイ

ABUNDANCE

2014-05-21 13:33:55 初出

久々のブログです^^;

サボり過ぎです!という突っ込みはなしでお願いw


ABUNDANCE…豊かさです。

豊かさって何でしょう?

お金?教養?心の自由?…他にもたくさんあるでしょう。

selaぴょんの場合は~

昼行燈してても生活に困らなくて~

知識欲を満たせて~うくうくと幸せ~と言える状態です!

そこの人…オイオイって思わないで~^^;;


禅で言う豊かさとは物質的にも精神的にも満たされ

自由気ままな生き方をしながらも知恵に満ち

例え一人でもすべてに満ちたりていることを言うらしい。

言い換えるなら「足りるを知る」ことだったり

何事にも動じない自信を持ち続けることだったり

微妙に難しい^^;

人それぞれ何かに追われている以上

本当の豊かさを体感できないのではと思ったり…


つい思うこと。

言い訳して生きてる人たちは豊かさを諦めてるのかなって。

「いずれお金の必要ない世界になるから」と言い訳して

経済的な豊かさを捨てることを美徳としている人達。

「人それぞれ考え方は違う」と言い訳して

始めから他人を理解する努力をしない人達。

「お金が無ければ何もできない」と言い訳して

お金だけを追い求め心の豊かさに目を向けない人達。

「学歴が無いからチャンスも無い」と言い訳して

自分のスキルを磨くことを止めてしまった人達。

「智慧など役に立たない」と言い訳して

真理を探究する心を失った人達。

他にも何かを得るために何かを犠牲にし

その言い訳をしながら生きてる人は多いはず。

豊かになることを諦めてしまったのか

それとも最初からその気持ちが無いのか…


世の中の半分の人は物質的な豊かさを否定し

精神的な豊かさを受け入れていると言います。

そして、世の中の半分の人は精神的な豊かさを否定し

物質的な豊かさを受け入れていると言います。

中には両方を受け入れている人も居るでしょう。

両方を否定している人も居るかもしれません。


あれもこれもと求めるのは良くないこと?

あらゆることに満たされるのは悪?

まぁ~そう思うのも仕方ないことかもしれない^^;

なんせ人は生まれた時から不幸で居た方が

孤独とは無縁だと体験学習してしまってるのだからw

そこに『価値観』という様々な教育が相まって

↑のような『豊さは悪』みたいな概念ができちゃってるからねぇ~

なかなか拭い去れないでしょう…そこに気付かない限りw


ということで~

selaぴょんはどちらかと言うと「孤独を愛するタイプ」だったのが

幸いだったようで智慧と心の豊かさを求めつつ

昼行燈でもそれなりに裕福な暮らしができる現状に落ち着きましたw

とはいえ、まだまだ追い追われする生活からの

完全脱却には至っていないのだけど

その辺は誤魔化しておくのだったった☆ あはは~^^;


ついでに^^

…そこの人!

豊かになっちゃいけないって自分に暗示をかけちゃってない?

思い当たるようならさっさとその考え捨てましょうw

バラ色の人生にするもしないもすべては自分次第ですから~^^

SLOWING DOWN

2013-10-17 10:48:54初出

字義は「スピードを落とせ」「ゆっくり行こう」です。


人はみんないろんな夢や期待に胸を膨らませ

それに向かって努力しています。

がむしゃらに、程々に、あるいはちょびっとw

目標に向かって頑張るがあまり、周囲が見えなくなっていたり

自分はこれだけ努力してるんだから理解しろと

他人をないがしろにしたりと少し狭量になることも。

もしくは自分の夢を他人に押し付けて

本来その人にはどうでも良いはずの夢を一緒に追わせたり。

当事者はそんな傍迷惑な真似をしてることすら気付かないんだよね。

何故か?

一言で言えばその人に余裕が無いから。

周囲が見えない程に、頑ななまでに「こうしなければならない」って

一種の脅迫観念に染まった結果なんだけど。


ある人は、それでも努力して夢を掴むでしょう。

ある人は、後悔しながらも夢を諦めるでしょう。

ある人は、自分に言い訳しながら努力してるふりして夢を追うでしょう。

ある人は、その経験が今の成功に役にたったという事でしょう。

そう。いずれどこかで、自分の行動が正しかったのだろうかと

立ち止まり、振り返る時が来るんですけどね。

中には、そういうことを考えることなく過ごす人も居るかもしれないけれどw


禅では「自分が抱いた幻想の責任を取る時」なんて厳しい表現してます。

いずれは自分が抱いた幻想の責任を取らねばならないのなら

夢を追うにしても、周囲に気遣い、目を向けながら

心安らかに、家でくつろぐかのような心持で行えと

難しいことも言ってるのが禅の教えなんですが^^;


まぁ~、瞑想や座禅を通して得た本質は消えることなく

自分の中に生き続けるとは言うけれど

そこに辿りつくまでがね。難しいことなんだけどね。

ということで、↑のようなことも気付いて身に着けば

当り前の事として、焦ることも、頑なになることもない

心穏やかで、クールな人物になるらしいがw


そのためのキーワードが「ゆっくり行こう」ということらしい。

夢を追いかけてる真っ只中の方も、ちょっと足を緩めて

周囲を見渡す心の余裕を、ほんの僅かでも持ってみませんか?


などと言いつつselaぴょんは、熱しやすく冷めやすい^^;

到底、クールビューティなんて似合いもしないから

笑って誤魔化すことにいたします~あはは~w