room of alchemy - 錬金術の部屋 -

selaのプロフ☆和田灑羅(sela/俗名:和田百合)☆株式会社SVT代表取締役。2011年より、「魔法の時間」というスピリチュアル・ワークショップを主宰中。

思想・哲学

覚悟(?)

2011-11-06 12:00:00 初出

先日偶然に、とある友人と再会した。

約1年ちょっとぶり。お互い「なんでここにいるの~」だったけど。

彼とは共通の友人たちが居た。

私が彼らと袂を分かってから1年あまりになる。

久々に会った彼も、同じくらいの時期に彼らと袂を分かったと言う。

お互いに、そういう時期だったんだねぇ~などと。

彼は更に言葉を続ける。彼らは今【反原発】運動してるよ~って。

でも、彼らの活動からは【覚悟】のようなものを欠片も感じない。

単に時勢に乗り、自分たちもそういう活動してるんだよ~って

アピールしてるようにか見えないって。

確かにたまぁ~に彼らから届くイベントメールの中に

【反原発】イベントのお誘いってのがあったなぁ~

彼の言うように何となく「好きにやってれば~」って感じがした。

そして、話題は原発の話になっていき、今回のタイトルに繋がるんだけど(笑


彼に聞かれた。「selaちゃんは原発のことどう考えるの?」

私は答えた「どうでもいい。っていうよりどっちでもいいだな。」

聞き様によってはとんでもなく無責任な一言だけど

彼はその真意を理解してくれた。

「自分もそう。同じ意見の人に初めて会ったよ~」


仮に時勢の流れのままに原発が廃止になるならそれはそれ。

この時代に生きる人たちの思いがそういう方向に

物事を動かすというだけのことなのだから。

仮に原発がこのまま稼働し続け新たな事故が起きたとして

その結果起きることはすべて甘んじて受け入れる。

それが自分自身の死を意味するとしても。

だからこその「どっちでもいい」なのだけど。

こういう姿勢というか思想を彼は「覚悟がある」と評してくれた。


う~・・・覚悟ってなんだぁ~?ってことで辞書に頼ってみた(笑

1.危険なこと、不利なこと、困難なことを予想してそれを受け止める心構え。

2.仏語。迷いを脱し、真理を悟ること。

3.きたるべきつらい事態を避けられないとしてあきらめること。

4.覚えること。記憶すること。

5.知ること。

へぇ~・・・覚悟って意外と意味あるのね。

4と5はニュアンスが違うから除外して~(笑


確かに、ここ最近のselaぴょんは肯定も否定もせずにただ目の前で起きることを

そのまま受け入れるようにしようって思ってる(^0^)

危険なことや不利なことに限らず受け入れる用意ができている。

・・・・・と自分では思うのよ(たぶんきっと)・・・・(汗

だけどそれが諦めから来てる訳ではない。

そう言う意味では辞書でいうところの 1 はありえても 3 はないな。

2に至ってるという意味でなら空を飛べると思えるほどに嬉しいかも(ニャパ)


以前に書いた、「自然に征服される用意」にも似た心情なのかもしれない。

ただねぇ~難しいこともあるのよねぇ~感情っていう名の爆弾が・・・・(^^;

いつになったら迷いを脱し真理を悟る覚悟ができるのやら~

・・・・と、思うのであったった☆はぁ~

本質と非本質

2011-10-30 09:38:40 初出

よくワークでするお話から(^-^)


本質とは状況が変わろうが、情報のあるなしにかかわらず

決して変わらないもの。その最大のものが

【世に生まれ出たものは必ず死する】

という事実。肉体の不老不死はおそらく手に入れられない。

そして、人がこの世に生まれてきた意味(天命や使命)も変わらない。


それに対して非本質というのがある。

偶発的に起きる出来事に対して過敏になることなのだけど。

「自分はいつ死ぬんだろうか」「自分は転んで怪我をしないだろうか」

といういつ起きるか起きないか分からないような漠然としたこと。

そのため、何らかの条件次第でコロコロと変わる状況のこと。

当たり・はずれのようなある種のギャンブルや偶然に左右されるもの。


世の中の大多数の人は【非本質】の部分を大事にしている。

いつ誰と結婚するのか。希望の学校に入れるのか。

好きな人は自分のことをどう思っているのか。

それこそ、落ちているとは限らないバナナの皮を

いつ踏んで滑って転ぶんだろう・・・

っていうことばっかり気にしている。

そして、それを知りたいがために「占い」が流行る(笑

求める人が多いのだから【非本質】に関する部分を扱う

占い師も必然的に増えて行く訳で。

何かのきっかけでコロコロ変わるようなものだから

占ったところで当たるとは限らない。


真の占い師とは本質を示し導くものだという。

本質に近づくために、実は【準本質】という中間層があるのです。

知ることによって人は選択できるようになるのです。

何をすることが自分にとって、あるいは社会にとって

よりbetterなのかを考え、行動するという選択。

言いかえるなら、何かを成したいんだったら

そのための情報集めて努力しろって話(笑

あるいは自分にとってより安穏な道を探し生きるという選択。

こっちも言いかえるなら、努力したくないなら

今の状況に甘んじなさいって話(笑

その選択はたくさんあるけれど、究極的には2つの選択肢。

本質により近づくための選択か離れていくための選択か。



まぁねぇ~本質を生きるって言うのは今の世の中では

かなり難しい生き方だったりするのよねぇ~(汗

それに~落とし穴もいっぱいあったりするし~(笑

本質に近づくために何かを選択したとします。

でも、それが義務になったり、それをすることが機械化するようだと

本質ではなく非本質になってしまうって気付かない人も多くて。


喩えば。「これが自分の使命だ!」って使命感に燃えている方。

すでにそうしなくてはいけないという必要から義務となってますよ~。

その人の中では自分の意志で行っていると勘違いしながら

機械的にそれをしているだけになってしまってるってこと多いのよ(^^;

それがいかにすばらしい使命であったとしても

本質を生きると言うことではなくなっているのよね~。

だって機械化しちゃったらもう人じゃないもの。

生きるって言うのは人や命のあるもののすることで

機械はただ動いているだけで生きているとは言えないでしょ☆


喩えば。ベジタリアンを自称する方。

瞑想とかの結果としてその時、その時で自分に必要なものを

選択している結果がベジだっていうなら何の問題もないのです。

自覚のあるなしにかかわらず、何らかの思想や誰かに感化されて

ベジタリアンになられたのであれば特にご注意を。

そうしなくてはいけないって思いこんでいる時点で

すでにあなたは機械になっちゃってるんですよ。



あたしの場合?

より楽しく、より安穏に生きる選択を常にしてるに決まってます。

早く左うちわで生活できるようになりたいなぁ~と

常日頃から思っているのであったった。

だけど・・・現実はまだまだ遠いなぁ~・・・はぁ~

なぜ「右手は正しい」?

2011-06-10 12:16:50 初出

英語で正しいを意味する「rigth」。

意訳すると「右手は正しい」なのだけれど

なぜ「右手」は正しいのだろうか?


現代人なら右手は左脳、左手は右脳と関連があることを知っている。

そして、左脳は言語や理論、科学や数学などを得意とする。

逆に右脳は感情や五感、直観などを得意とする。

歴史は科学や計算、論理というものを称賛し

直感や心霊といった明確な答えの出ないものを非難してきた。

結果、賞賛された論理につながる右手が「正しい」とされたのだという。

「右手は正しい」と言い始めた人は

脳と手の関係を知っていたことになる。


確かにまことしやかに様々な説(憶測)が流れている。

古代、現代科学より発達した文明があったという説や

様々な神話や伝承に見られる記述など。

アニマ・ムンディもしくはユングの言うところの「集合的無意識」には

それらしい情報が無きにしもあらず・・・な感じはあったけれど・・・。


左脳は常に合理性を求めてきた。

時に、その合理性は人を「機械」のように変容させてきた。

自分で感じ、考えることをやめ、ただただ規則的に同じことだけを

繰り返す機械(ロボット?)へと・・・。

いつの間にか人はそれに慣れた。

機械的に同じことを繰り返すことで日常が終わる安易さを良しとしてしまった。

まぁ、確かに何かを考え、行動し、その責任を自分が引き受けることは

なかなかしたくないものではあるけれど・・・。


そんな中でなぜ右手は正しいのかを考えることは意味があった(たぶん)。

最近は、自分は起きているつもりでいながら

夢遊病者のように眠ったまま生きているのかもしれないと

思うようになったのであったった。

自然に征服される用意

2011-03-17 10:50:21 初出

インドの聖者の語った

「西洋は自然を征服する用意がある。

 東洋は自然に征服される用意がある。」

という言葉が今回の震災を通して強く刻まれた。


日本という国は「東洋」の中にありながらも「西洋」的であり

戦後は特に「自然を征服する」がごとき立場をとっていた。

毎年、何らかの自然災害に見舞われながらも

遅かれ早かれ自然を人の手ですべて管理するくらいの

想いとそれを実現させようとする意気込みがあった。

だが、今回の震災ではその想いを嘲笑うかの如く

予測を超える自然の猛威に直面することになった。


そんな中、津波で家財のすべてを失った方が語っていた。

「将来、今以上の津波に襲われるとしても

 私や私の子供たちがこの土地を離れることはない。」

なんとなくだが今まで漠然としていた

「自然に征服される用意」の意味が少しわかった気がした。


過去に何度もすべてが流されるような津波にあいながら

その土地を捨てることなく住み続ける人々。

いずれまた同じことが起きたとしてもそれはそれ・・・

という覚悟にも似た思いが根付いた人たちだからこそ

「この土地を離れない」と言い切れるのだと思う。

それが「征服される用意」の一端なのだと感じた。


そう思えたとき、私を含めてどれだけの人が

「征服される用意」ができているのだろうかとふと思った。

震災後、ネットでの様々な書き込みを目にしてきた。

中には「秘密結社の陰謀」だとか「天罰」だとか

何かのせいにしようとする書き込みも多く見られた。

真偽の程は定かではないし、それを確かめるすべも私には無い。

だが、現実は目の前にある。


誰かのせいにして嘆き・悲しみ・憤るより

目の前の現実を受け止め自分に今できることを少しずつでも

やっていくことが今は大切だと感じている。